新型コロナウイルスへの初動ミスから学ぶこと

 現在の最大の関心事は、中国武漢を発源とする新型コロナウイルスによる肺炎の広がりと、その感染対策である。ここまで酷くなったのは、偏に初動ミスである。発源地である中国に加え、国際機関のWHOも初動ミスをしている。

 感染を抑えるには、出来るだけ早く発見し、拡散範囲を限定し、封じ込める以外にはない。ところが中国では、武漢市の医師がいち早く警鐘を鳴らしたが、公安当局からデマを流したとして訓戒処分を受けている。警鐘を鳴らした時点で検証と対策が打たれていれば、全く違っていたはずである。

 これは中国の権力独裁体制ゆえに起きた事態である。権力を笠に着た公安当局が、医師の言うことを頭ごなしに否定し、押し付けることが出来ている。権力が絶対視される危うさである。

 民主主義の国であれば、全く異なる経過となったであろう。また、安全・安心を国是とする日本では、異なった展開になったに違いない。確かに民主主義は議論に時間が掛かり、国家的な事業を成し遂げるには非効率な一面があるが、基本的な人権と自由が守られるのは、何事にも代えられないことを再確認させられる。

 かたやWHOの初動ミスは、国際機関がその機能を失いつつあることと関連しているのではないか。国際機関の役職員が、国の数が多い開発途上国から選ばれ、判断基準が歪んでいる。特に今回は、事務局長が中国から多額の援助を受けているエチオピアであり、中国への忖度が原因と言われている。緊急事態の宣言を見送った際に、中国の感染対策を称賛する発言等に如実に表れている。

 先進各国は、WHOの宣言を待つまでもなく、自らの判断で対策を行っている。IT化により詳しい情報が即座に得られ、国際機関のガバナンスの問題もあり、国際機関の存在意義が薄れつつある。

 以上のように、今回の新型コロナウイルス感染問題はケーススタディとして、国の形、社会の在り方や国際機関の役割を問い直す、又とない良い機会となっている。